*****
そして、コハルがどうにか立ち直ったのは暫くしてからの事で……それは周囲が夜の装いを帯びる中、あちらこちらで街灯が点灯され少なくなっていく自然の光を補い始め出してからであった。
父親から離れ腰に手を当て偉そうにコハルは言い放つ。俺にしがみ付き肩を震わせていた先程の様子を忘却の彼方に放り投げながら気丈に嘯くその声は完全無欠の鼻声であったのだが、俺もヤスミも気が付かない振りをしてあげるだけの優しさを持ち合わせていた。
「御免なさいなのです、コハルちゃん……でも、ホント、あたし、コハルちゃんに会えて良かったのですっ幸せなのです!!間違いないのですっ」
そう告げつつペコンと頭を下げるヤスミを見ていたら、又々何かが込み上げてきたらしい、「……うん」と小さく頷きながらコハルはグシグシと豪快に目元を手で拭った。
「…………」
その短い遣り取りは何と言うか……可愛らしく微笑ましく、そして、哀しさに満ち溢れていてだ———更に言えば、部外者に割り込む余地は無い様に感じられ———俺には無言で2人の会話を見守り続ける事しか出来ない。
そんなしんみりした雰囲気の中、途切れ途切れに言葉を遣り取りしつつヤスミに鼻を噛んで貰っていたコハルなのだが、そのしおらしさを吹き飛ばす勢いで、
「あっ、そーだ!!」
と大きな声を出しパッと顔を輝かせた。
一体全体何に気が付いたのか、「泣いたカラスがもう笑った」的その表情は「ユリーカ!!」と絶叫したアルキメデスをも凌駕しそうな程晴れやかであった。
申し合わせたかの様に無言でその先を促す俺とヤスミを交互に見上げて、
「あのね、ヤスミちゃん? コハル、ヤスミちゃんの事ずっと覚えてたいから、んと、何か記念に……え?……あっ!?」
と愛娘はエッヘンモードで己の閃きを口にしていたのだが、これまた何かに気が付いたらしい、その声は徐々に小さくなっていき、遂にはまるで彫像の様に固まってしまうコハルであった。身動ぎ1つせず自分の発想した事に驚愕しているらしいその呆気に取られた顔とポカンと開いた口が妙に可愛らしい。
「ん? どうした、コハル?」
「コハルちゃん、どうしたのです?」
問い掛けを同時に受けて我を取り戻したのか、俺達を振り仰いだコハルの瞳は何か納得理解した様な輝きを放っていた。その大人びた深みのある色彩に俺は息を呑み、ヤスミも遠慮しつつ「コハルちゃん?」と問い掛ける。
「うん、コハルね、判ったの……ヤスミちゃんがパパから写真を貰った時に、どーしてあんなに嬉しそうだったのか」
「え?」
「そっか、そーだよね。こんな時に大切な物を貰えたら、うん、嬉しいよね……きっと忘れないよね」
「コハル、お前……」
何時ものおきゃんな様子と今の落ち着いた雰囲気を醸し出す愛娘とのギャップに戸惑う俺を余所に、コハルは柔らかく優しげな———まるで妻が浮かべるそれと瓜二つな———微笑を浮かべヤスミに声を掛けた。
「良かったね、ヤスミちゃん」
文面は先程と全く変わらないにも係わらず、其処に込められた感情の豊穣さでは先刻の物とは比較にならない台詞であった。そこに込められたモノは即座に俺の心の中へと浸透していく。「…………」
何と言うか……この子と同じ年齢の時に同じシチュエーションに置かれたと仮定して、俺はこの様に相手を慮る優しい反応を返せたであろうか?
その自問に対する答えは一瞬で齎された。
否、断じて否である。
その否定的回答は、しかし、俺の胸を熱くさせてくれた。
何故ならば、たった今、コハルは自らの境遇を顧みながら感性豊かに「ヤスミの想い」を感じ取り、改めて祝福の言葉を送ったのだ。それは、その大人びた表情に相応しい気遣いであり、今のコハルを幼子扱いするのは失礼だと正直俺は思う。
そう、今、コハルは殻を破り「大人への階段を一歩昇った」と……いや、言い換えれば、将に俺の眼前で一気に精神的成長を遂げたと言っても過言ではないのだ。
子供の成長した姿を目の当たりにし、その事実に歓喜しない親が居るだろうか?
感動している俺と同じく、どうやらヤスミも同様の結論に達したらしい、深く感銘を受けたと物語る顔付きで静かに「コハルちゃん、ありがとう」と一言返す。そして、ニコッと純粋無垢な笑みを浮かべ徐にトレードマークとなっている髪留めに手を伸ばした。
「これ、小学生の頃から着けてた髪留め、お気に入りのこれを……コハルちゃんに貰って欲しいのです」
ヤスミは手にしたニコちゃんマークをコハルに差し出しながらそう呟く。それをそっと受け取った愛娘は矯めつ眇めつ繁々とそれを見たかと思うと満足気な笑みを浮かべた。
「ありがと、ヤスミちゃん、ずっとずっと!!……宝箱に仕舞って大切にするね」
「はいなのです!!」
「……じゃあ、コハルからもお別れに、これ、あげるっ」
コハルは元気に宣言したかと思うと、そのトレードマークであるカチューシャをバッと剥ぎ取りズビシッと突き付けた。
「これね、ママに選んでもらったコハルのお気に入りなんだからね!!」
「……うわぁ、そんな大切な物を!? ……有難う御座いますなのです、コハルちゃん」
此方に来る時には朝比奈さんの力を借りた訳だし……って事は、往年の時間遡行事件の如く朝比奈さん(大)が現れて跳躍させてくれるのか?
*****
そして、2人の少女の間で交わされる厳かな離別の儀式は、互いの愛用品を交換する事で無事に終焉を迎えた。
その様子を無言で見詰め続けていた俺は感動の余り目頭を熱くし、そして、それと同時に、実の所すっかり忘れていた「さて、これからどうやって現代に戻れば良いのやら?」と言う懸案事項が脳内でフラッシュバックしやがり一気に困惑……やれやれ、マジで一体全体どうしたもんかね?
「……ふぅぅ、しまったなぁ。朝比奈さんか長門に方策を聞いておくべきだったぜ」
恐らくこの時代の高校生長門を訪ねちまえば万事解決何だろうが、しかし、長門さん自身が未来の俺に会ってないと断言しているとなると、そりゃ詰まり……頼るなって暗に言われたに等しく、偉大なる異能者的庇護の無いこの状況の心細さと言ったら、将にエアカバー皆無で沖縄に出撃した大和以下第二艦隊将兵が抱いていた絶望感、それに比する事が可能かも知れん。
だが、尊敬すべき先達には申し訳ないのだが俺は此処で路頭に迷う気は毛頭無く、故に生涯最高の集中力で以って沈思黙考し、そして、即座に違和感を覚えた。
ん?
待て待て……過去に来てるのは俺だけじゃない筈で、あー、そーいや、コハルやヤスミはどうやって此処に跳んできたんだ?
今更ながらの疑問ではあるが、それをコハルに聞くのは当然NGだし、しかし、ヤスミに聞こうにも愛娘が終始纏わり付いているこの状況では如何ともし難い。
「やれやれ」
とまぁ、無意識の内に嘆息が出てしまう程、次から次へと湧いてくる難問に些か辟易していると、その苦悩を察してくれたんだと思いたい、コハルと思い出話をしつつ、その合間を縫ってヤスミが明るい口調で話し掛けてきた。
「大丈夫ですよ、先輩っ。此処に来れたんですから還れます!! きっとですっ間違い無いです!!絶対ですっ」
「……お前が断言するならそうなんだろうな」
「はいなのですっ。あ、だから……」
と言いながらヤスミはコハルの右手首をそっと掴んだかと思うと、
「どうぞなのですっ」
と俺へ差し出した。その行為の意味が判らず眉を顰めた俺同様にコハルもキョトン顔なのだが、ヤスミは当然と言った体で、
「コハルちゃんの手を握ってて下さい。絶対に離しちゃ駄目ですよ、先輩!!」
「あ、あぁ……判ったよ」
戸惑いながらも言われるままに俺は愛娘の手を取りしっかりと握り締め、父と手を繋ぐのが殊の外好きなコハルさんは「えへへ……」とニンマリニヤニヤ。そして、余程嬉しかったのだろう、その手を「わーいわーい」と悪戯っ子の様にブンブカ振り回す我が子に苦笑を向けつつ、この行為の意味を俺はヤスミに問い掛けた。
「あー、まぁ、何だ、外出先で幼子の手を握るのは当然として……だが、何故今なんだ?」
「はいっ、わたしが此処に来たのも来れたのも、あはっ、実はですね、そのお陰だからです、先輩!!」
「……済まん、何だって? それは手を握っていたからって事か? コハルの手を? 何だそりゃ?」
「ふふふ、大丈夫ですよ、先輩!! 直ぐに判りますですっ絶対です!! それに……」
と意味深に口を閉ざすヤスミに釣られ反射的に俺は合いの手を入れる。
「やれやれ、それに……何だ?」
「残念なんですけどっ、それ、二人乗りなんです!! だから、先輩とコハルちゃんでどぞどぞなのですよっ」
「何だと? ちょっと待て……二人乗り? 済まん、益々意味が判らんぞ」
妙な事を思い付いた挙句ハイテンションになっちまった高校時代のハルヒと会話しているような錯覚に陥りつつ、冷静さを保つために俺は眼を瞑って大きく深呼吸。
あー、ご覧の通りヤスミの台詞の難解さは筆舌に尽くしがたく……って言うか、これで理解出来る奴が居るのか? 居たら俺に説明してくれると助かるんだが?
とまぁ、独り嘆いていても、哀しいかな、事態は好転しない。
仕方が無いので知恵熱を出しそうになってる頭を振り振り、更なる質問を飛ばそうと決意を固めてた俺の機先を制し、滅茶苦茶明るい笑顔を浮かべつつヤスミは元気一杯背後を振り返った。
「もう直ぐお別れなのです、先輩っ、コハルちゃん!! だからっ、だから最後に……行きませんか? 公園に!!」
ズビシとヤスミが指差すその先には、ハルヒの姿を求めて俺が駆け抜けて来た小さな公園。中央に一本だけ設置されている街灯がボンヤリと其処を照らし出し何やら幻想的な雰囲気だった。
悩みを抱えている俺は兎も角、公園大好きお年頃のコハルさんはその単語に鋭く反応、一瞬にして乗り気になる。
「わぁ!! 行く行く公園行く!! ねっ、パパ、イイでしょ?」
表面上は許可を求めているようでも、実際の所、コハルは既に駆け出していて、それを何故かヤスミが更に嗾ける。
「あはっ、それじゃ、コハルちゃん!! 公園まで競争なのですっ」
「負けないんだからね!!」
それを合図にコハルとヤスミが同時にダッシュし、愛娘と手を繋いでいた俺もグググイッと引っ張られた。
「もう、パパも来ないといけないんだからね!!」
「先輩も早く早くなのですっ」
その場の流れに今一浸れなかった俺を叱咤激励するかの如くコハルとヤスミは満面の笑みで煽ってくれるのだが、ぶっちゃけそれを曇らすのは罪悪感に苛まれそうだし、何よりヤスミに手を離すなと言われた手前、ふぅ、どうやら俺は2人の少女に合わせて走らざるを得ない定めらしい。元気娘コハルに手を引っ張られ前へ前へとグイグイ引き摺られつつ、
「お、おい、コハル? 暗いしあんまり慌てると転ぶぞ?」
と一応親としての勤めを果たすべくヤンワリと窘めてはみたものの、躁状態になった我が子に其れが通じる筈も無く、俺が仕方無しに脚を動かし出すと、足枷が軽減したせいだろう、コハルがヤスミよりも先んじ始めた。
「うわぁ!! 早いのです、コハルちゃんっ」
「ふふんっ、負けないんだからね!!」
ヤスミに褒められるや否やコハルは更に速度を上げたのだが、片手で俺の手を引いているため上半身と下半身のバランスが悪く、今にもズッコケそうで危なっかしくて仕方が無い。にも係わらずコハルは止まる事無く公園を目指し続け、溜まらず呼び掛けた俺の声からは何時の間にやら余裕が消え去っていた。
「こ、こら、コハル? 危ないって言ってるだろ?」
「もぅ、パパッたら!! 大丈夫なんだからねっ」
いやいや待て待て、お前の覚束無い走りっぷりを見て、ドキドキハラハラしちまうのは親として当然だと主張したい!!
と心の中で懸念を表明していると、それを増大させる心算かどうか、ヤスミは楽しげに笑いつつ、
と朗らかな声を出すと同時に、公園入り口に設置されている“П字形の自転車止め”を指差しやがったのだが、おいおい……それはコハルの腰ほどの高さがあり、この状態でこの子が飛び越える事何ざどう考えても無理だ。
「ちょっ!?」
現状を憂える一般人を嘲笑うかの如く状況は悪化し続け、文字通り俺を絶句させてくれたんだが、それを余所に愛娘は即座に反応した。
「任せて、ヤスミちゃん!! そんなん簡単なんだからねっ」
とコハルはそれを飛び越えるべく加速し、俺大慌てである。
何故なら、先程からのアンバランスな走りっぷりから鑑みて飛び越えられるとは到底思えず、況してや、こんな異時間軸で怪我をされたら、将に一大事であり———只でさえ旅行先での怪我人の場合、保険証や預かり金やら未集金やらで、病院関係者は気苦労が絶えない……と言う裏事情を知っているだけに———流石に俺1人では無事に事を収める自信が無い。
そんな時間遡行異邦人としての危惧に先程の父親としての不安が混ざり合い、そして、それらはこの状況を作り出した少女に対する疑念へと即座に変質した。
だが、ヤスミは何故にコハルをこうも焚き付けるんだ?
委細構わず猪突猛進しちまうこの子の性格を知らん訳でもあるまい?
そうなんだよな……先程まで見せていた年下への気遣いが全く無いじゃないか?
如何なSOS団に属しているとは言え、一般人たる俺だけでは、ぶっちゃけ色々と限界があるんだぞ、出来る事には……。
と本気でコハルを窘めながら、それと時を同じくしてヤスミに顔を向けた。
「お、おいっ、ヤスミ!!……お前、何を、考えてる!?」
その言動にTPO的違和感を覚えていた俺は我知らず少々キツイ声を出してしまったのだが、しかし、その直後に小柄な女子高生から返ってきた反応は俺の予想の範疇を超えていた……。
*****
俺の詰問口調の発言を受けたヤスミが何を遣らかしたのか?
どんな反応を返してきたのか?
それを説明すると以下の如くになる。
俺の疑う様な視線を柳に風と受け流しつつヤスミは念を押すように、
と笑顔で叫ぶや否や行き成り急停止、そして、別れの挨拶の心算なのかどうか、俺達に対して可愛らしい敬礼を寄越したのだ。
当然の事ながらその脈絡の無い言動に驚いたのは俺だけでは無く、「何!?」と思わず我が目を疑った俺の叫び声に我が子のそれが重なった。競争相手が突如として試合放棄したと言える状況では当然の反応かも知れんが、
とコハルも驚愕の声を上げたのである。
そして、走りながら背後を振り返ろうと身体を捻り、だが、その後先考えない行動のためにコハルはバランスを一気に崩した。結果、足を縺れさせ頭から勢い良くつんのめる愛娘の姿が俺の視覚中枢に届けられる。
「!?」
それだけでも下手すりゃ大惨事になるかも知れんのにだ、恐ろしい事に、その先には先程の自転車止めが聳え立ち……数秒後にはコハルの脳天がそれに直撃すると言う有り難くない未来予想図が脳裏に浮かび、結果、俺を驚愕絶句させてくれる。そして、コハルの頭と金属製の自転車止めを比較し、どちらが固く頑丈か、激突した場合にどちらが勝利するのか、自明の理であろう。
「コハル!?」
そのまま放置するならば重大事故確実と言った状況ではあるが、そこは腐っても父親である、それを理性で理解するよりも早く本能的反射でコハルの手を引き戻そうと俺は試みた。しかし、その父性溢れる行動は———物理法則ってのは何時如何なる時でも冷酷無慈悲でなんである———愛娘の体重に加速度に万有引力、及び慣性の法則と言った各種物理学的要素の相乗効果の前に敢え無く敗北、勢い、願望とは裏腹に俺自身がグイッと引っ張られ親子揃って自転車止め目掛けて突撃する羽目に陥ったのである。
「きゃあ!?」
「うおっ」
予想外の事態に遭遇した親子の悲鳴が響く中、だが、俺は「少なくともコハルだけはっ」と我が子を必死で引き寄せ胸に抱え込み、コハルも「パパッ」と父親に縋りついた。その小さな身体を抱き締め己の身体を盾にコハルを守る覚悟を固める。
俺の誇りに掛けてもこの子に掠り傷1つ付けん!!
無言で宣誓しながら眼前に迫る金属の棒を睨みつけつつ、
「後はどれだけ上手く受身を取って、俺の怪我を軽くするかだな」
と避け得ないであろう衝撃に備えて歯を食い縛ったのだが……有り難い事に、その破滅的瞬間は遂に訪れる事は無く、その代わりと言っては何だが、俺は非日常的現象に遭遇する羽目になったのである。
*****
だが、その切っ掛けだけは理解出来た。
俺に迫る危機に反応した我が子の叫び声がそれである。
「パパッ、危ない!! ダメッ」 瞬時に……全ての存在が無秩序に混ざり合い、色と色と色が溶け合いつつ辺りは混沌色に染まっていく。まるで夢の世界での出来事の様な不思議な光景だった。
どのようにしてその非日常的現象が発生したのか、その仕組みに関してさっぱり見当が付かない。それも当然、何せそれに関する知識が皆無だからである。
それらの思いが心の中で強くなるにつれてこの状況への危機感が増大、そして、その当然の帰結であろう、それは実際の行動として表面化した。
「こら、コハルッ。危ないからちょっと待ちなさい」
「……ヤスミちゃんにも、グスッ、色々とあるだろうし、ズズ……うん、許してあげるわ」
コハルは声を上げると同時に俺を抱き締めている手に力を込めた。まるで俺を守ろうとするかのように……。
そして、その瞬間。耳元でキーンと言う高周波が響き渡ったかと思うと、周囲の風景がグンニャリと水に溶かした様に拡散した。
俺はそんなサイケデリックな風景の中、重力に引かれ続ける。
到底現実に起こっているとは思えず、冷静に考えれば前途を悲観し泣き叫ぶべきかもしれない。
だが、何故か俺は恐怖を抱く事はなかった。
絶望を感じる事もなかった。
それどころか、未知なる冒険に誘われているかの如く心が踊ったのだ。
それとも……。
それとも、愛くるしい後輩の笑顔を目にしたからだろうか?
*****
これから先、何が待っているのか皆目判らない。
だが、視界全ての存在が溶け合い極彩色に変化していく中、俺は唐突にヤスミの存在を思い出した。
「ヤスミ!?」
その子の名前を口にしつつ、ヤスミが立ち止まっていた場所へと視線を飛ばし、その直後、俺は目にした。この事態を引き起こした人物が静かに佇みながら柔和で純粋無垢な笑みを浮かべているのを。周囲に溶け込む事を拒否した様に確固たる存在感を維持したままで。
「私は此処にいる」と言いた気に。
場違いなその雰囲気に周囲の異次元的状況を忘れ俺が目を剥いていると、その視線を感じ取ったのだろうか、付近の変化を気にする事無く、その笑みを絶やさずヤスミは小さく手を振る。
まるでドアが閉まり、今にも出発しようとする電車をホームから見送るが如く。
私は此処に残りますね……とでも言う様に。
そして、その澄み切った笑顔が告げていた……「お元気で」と。
そして、俺が抱いたイメージを肯定するかの如くヤスミは口を開く。
「サヨナラなのです、先輩っ、コハルちゃん!! わたしの事、絶対に忘れないで下さいなのですっ」
ヤスミの行動……と言うよりも事態そのものが理解出来ず、反射的に「ヤスミ!?」と名前を呼ぶ事だけが俺に出来た全てであった。
何故なら周囲で無秩序に混ざり合っていた極彩色が、気が付けば……幻想的な美しさを感じさせる———例えるなら新月の夜に人里離れた川辺で無数の蛍が乱舞する光景を髣髴とさせる———薄暗闇へと生まれ変わっていたからである。それはハルヒの産み出す閉鎖空間とも異なり、普通に生活している一般的地球人が決して見る事の無い色合いの闇であった。
「なっ!?」
それを認識した瞬間、ヤスミの存在が意識から消し飛び、この事態を分析しようと理性が自動で働き始めた。だが、それが答えを導き出すまで待っている時間が無いらしい……俺とコハルは感想を抱く暇すら与えられず、その中にスルリと吸い込まれていく。
予想に反して、そこは小春日和的温暖な空気に満たされた空間であった。
俺達の周囲を微小な光の粒が幻想的に過ぎ去っていく中、視覚的には浮遊し続けているにも係わらず、体感的には急上昇&急降下中だと告げられ、瞬時に三半規管が悲鳴を上げると共に胃腸がデングリ返る。だが、俺は込み上げる強烈な吐き気を忘れる程の驚愕に脳天を乱打された。
……この感覚は、まさか!?
それが幾度か体験しているモノだと悟ると同時に、俺は即座にコハルをより一層強く抱き締めながら告げた。
そして、それを待っていたかの如く即座に返って来た、
「うんっ、パパ!!」
と言う父親を信頼し切った我が子の元気な返事を耳にしつつ、己自身もそれを実践する。
そう、この安全性を完全に無視した暴走ジェットコースターに座らされ前後左右滅茶苦茶に振り回されている様な何とも独特の感覚……それは……時間遡行時のそれだったのだ。
何時もの如く理由も原因も仕組みも概念も皆目判らないが、兎に角、俺達親子が時を越えようとしているらしいと悟るや否や、咄嗟に俺は強く念じた。
念じればアノ時代に帰還出来るのだと確信しているかの様に。
強く、強く、より強く!!
「辿り着け!! ハルヒ達が待っているあの時代にっ。元居た時代にっ」
そして、それに返答するが如く、
「大丈夫……」
と太鼓判を押す誰かの柔らかい声が頭に響く。その口調は冷静温和ではあったものの老若男女が判別せず何処の誰と判断付きかねた。にも係わらず。それは一瞬にして俺の不安感を払拭してくれる。
「あぁ、信じているぜ」と一言呟くと同時に心底安心した途端、俺の意識は例に漏れずプッツリと消失した。
それは、胸に守るべき愛娘を抱き締めているからだろうか?
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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Author:宇奈月悠里
ハルキョン&キョンハル大好き人間です!!
アイコンは敬愛するだんちさんから拝借させて頂いておりますっ。